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東京地方裁判所 昭和44年(ワ)9130号 判決 1971年8月25日

原告 松林佐久治郎

右訴訟代理人弁護士 田辺哲夫

被告 土田たま

右訴訟代理人弁護士 盛川康

同右 桜井明

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し別紙目録記載の建物を収去して別紙目録記載の土地の明渡をせよ。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、請求の原因として、次のとおり述べた。

一  原告は被告に対し昭和二六年四月一日別紙目録記載の土地を普通建物所有の目的、期間二〇年、増改築の際は原告の承諾を要する、との条件で賃貸した。被告は右地上に別紙目録記載の建物を所有している。

二  被告は原告に対し本件建物につき本庁昭和四二年借(チ)第一〇四二号増改築の許可申立事件を提起し、昭和四三年一月一二日左記決定があった。

本件既存建物の平家部分上に、二階二三・一三平方米(約七坪)を増築し、その部分の階下の大修繕兼模様替えを許可する。(その部分は別紙図面赤斜線部分である。)

その構造は、木造瓦棒葺モルタル塗り併用住宅とする。

三  ところが被告は右決定の趣旨に反し、右許可部分以外に、一階六平方米、二階五・三五平方米計一一・三五平方米を増築した(別紙図面青斜線部分)。また、本件建物の外壁を取り外して、全部モルタル塗に改装してしまった。

四  この無断増改築部分は、建築基準法違反の不法建築である。すなわち、基準法によれば、当該地域建蔽率は六割であるところ、敷地面積は八六・五二平方米であるから、建築面積は五一・九一平方米となる。然るに、本件建物の一階既存部分は五四・五三平方米あるから、既存建物として既に建蔽率違反があり、それ以上の増改築は許されないから、まして一階増改築部分六平方米は違反建築である。また、二階部分については、基準法により一階既存部分より投影部分が突出してはならないのに、五・三五平方米が突出しており、違反建築である。

五  かりに、既存建物押入部分の増改築が違反にならないとしても、この部分の面積二・四七平方米を差引いた残部は、一階、二階共違反建築となる。

六  増築中、原告は異議を申立てたが被告は違反建築を強行したので、原告は契約違反を理由として、昭和四三年五月一三日到達の郵便で契約解除の意思表示をした。よって本訴に及ぶ。

被告訴訟代理人は、請求棄却・訴訟費用原告負担の判決を求め、請求原因に対して、「第一項ないし第三項は認める。第四項以下は否認する。」と答え、被告側の事実主張として、次のとおり述べた。

一  原告は被告の亡夫土田留三郎の実兄で、留三郎は昭和二五年一二月二九日死亡したものである。

二  被告は本件建物を昭和二六年四月頃前主訴外岡重男から買受けた(所有権移転登記は昭和三五年九月三〇日)が、同時に原告から本件土地を賃借し、以来鮮魚商を営んで来た。

三  息子夫婦と共に営業して家族八人であるところ、更に孫が生れ、また商売も繁昌して手狭になったので増改築を思い立ったが、原告が許可して呉れないので、原告主張の許可申立をし、決定を得た次第であった。決定内容は、原告主張の外二六万二二〇〇円の支払を命じ、賃料を三・三平方米当り一ヶ月九〇円(合計二三六〇円)と定めるものであった。

四  そこで被告は昭和四三年三月一四日原告に対して右の金二六万二〇〇〇円を支払った上、建築士訴外倉島康次郎に請負わせて増改築工事にかかったところ、途中で、一階押入部分約五合および二階約一坪二合計一坪七合(五・六一平方米)を建物の構造と給配水の場所的関係からどうしても増改築せねばならなくなり、許可決定部分以外であるため躊躇はしたが、僅少範囲であり前後の情況から踏み切ったものである。

五  本件では、増改築計画が途中変更され、許可部分以外の増改築がなされたのであるが、当初の計画自体大雑把なものであったし、右変更によって賃貸人に不利を生じたことにならない。従って、解除は失当である。

六  原告は既存建物の建蔽率違反をいうが、元来、被告の亡夫が本件建物を訴外岡重男から買受けた当時は、右敷地は四〇坪近くあって建蔽率の問題を生じる余地はなかったのであるが、その後原告に迫られて借地面積を縮小したものなのである。しかし、なお二七坪九合(九二・二六平方米)あるのであるから、違反は生じない筈であるのに、昭和三七年六月一日原告は被告に対し賃貸借契約の確認を求め、その際面積二六坪二合二勺(八六・六七平方米)と記載した書類を作成したに過ぎない。従って、既存建物に建率違反はなかった。

七  原告はまた本件増改築部分の建率違反をいうが、一階増築部分には元々押入があって、現実に増築された面積は五合(一・六五平方米)に過ぎず、また二階部分の投影面積も五合(一・六五平方米)であっていずれにせよ建蔽率違反を生じる余地はない。

八  かりに建蔽率違反があったとしても、この程度の違反で確認申請を拒否されることはありえないし、ましてかかる行政法規違反が原被告間の私法上の契約の解除原因になることはなく、原告の本訴明渡請求は、権利の乱用である。

立証関係≪省略≫

理由

一  請求原因事実第一項ないし第三項は当事者間に争いがない。

二  問題は、この許可決定外の一階六平方米、二階五・三五平方米の増改築と外壁のモルタル塗(これらは争いない)が原告のいうように契約違反なのかどうかである。

(一)  原告は、建築基準法違反との主張をしているが、建築基準法は同法第一条に規定する目的実現のための行政法規であって、その違反が直ちに契約解除に導くような借地人の債務不履行になるとは言えない。むしろ、増改築の実情が原被告の賃貸借関係ないしその基礎にある信頼関係を脅かすような性質と程度であるかどうかを問うべきである。

(二)  まず、本件建物の敷地の存する地域の建蔽率が六割であることは弁論の全趣旨に照らし被告の明らかに争わないところと認められるから、これを自白したものとみなす。

(三)  次に、敷地については、原告の八六・五二平方米と被告の九二・二六平方米との主張が対立しているが、原告主張の八六・五二平方米(二六坪一合七勺)という数値を支持する証拠は見当らない。かえって、≪証拠省略≫によれば、昭和三〇年頃から昭和三六年頃にかけての地代領収は、被告主張に近い二七坪九合(九二・二四平方米)あるいは同九合一勺(九二・二七平方米)、同九合一勺四(九二・二八平方米)といった面積を基準として算出されていることが認められる。しかしながら、増改築許可決定は敷地八六・六七平方米としてなされたことが≪証拠省略≫によって認められるところ、右は坪数に換算すると二六坪二合二勺であって、これは≪証拠省略≫の賃貸借契約書に表示された坪数と一致する。これについて被告土田本人は、本件家屋の西北方角地にある飲屋(検証調書添付写真2に見える木造建物)の敷地部分がもと賃借地内にあった旨供述するのであるが、松林証人はこれを否定し、賃借面積減少のいきさつは結局十分な心証を得ることができない。他方、≪証拠省略≫では被告自身敷地面積を八三・一八平方米と主張したと認められるが、このいきさつも判明しない。結局本件の判断の前提としては、被告主張の九二・二六平方米でなく、賃貸借契約書に記載された二六坪二合二勺(八六・六七平方米)を採用するのが妥当であろう。

(四)  そうすると、建蔽率六割であるから、建築面積は五二・〇平方米(一五坪七合三勺)であり、増改築前の現況建坪五四・五三平方米(一六坪五合)であった以上、増改築許可決定当時において、既に多少は建蔽率を越えていたわけである。従って、前記許可決定外の増改築による建築面積の増加は、(押入面積を控除すると否とにかかわらず)少なくともその限度においては、建築基準法に違反したものといわなければなるまい。

(五)  しかしながら、その故に本件の増改築が当然原告の契約解除を理由あらしめるとは考えられない。けだし、民法は、違法建築についても、その竣成後はその除去を計るよりも償金の支払を妥当とする場合のありうることを認めていること同法第二三四条第二項に示されているとおりである。もちろん、それは違法の程度によることであろう。右の条文は、境界線から五〇センチメートルの距離を存していないがなお自家所有地の上に建築されている建物についての立言であって、境界線を越える建物についての規定ではないが、これを推及すれば、そのような事案であってもなお償金による解決を以って相当とする場合がありうる一方、やはり隣地所有者の所有権による排除の請求を認容すべき場合もあるであろう。従って、ここでの問題も、被告の違法建築の違法の度合にかかるというべきであり、その際のものさしは、先に判示したように借地契約当事者間の信頼関係の破壊に至るかどうかであろう。

(六)  原告は、被告が当初から故意にこのような許可決定外の建築をすることを狙っていたようにいう。それが本当とすれば、信頼関係を揺がすであろうが、そのようにも推測できるというだけで、客観的な証拠はなく、かえって、≪証拠省略≫によれば、当初の設計の杜撰から中途で水道管・ガス管の位置を動かし、また近隣との関係で外壁をモルタルにする等設計を変更せねばならなかった等の事情があったことが認められる。許可決定を取り直そうとせず、増改築を強行してしまった点にとがめられるべきルーズさあるいは遵法精神の欠如を見ることは十分に可能であるが、当初からの故意の計画と見ることは躊躇されるのである。

(七)  原告側が建築途中で違法建築であることを指摘したことは、≪証拠省略≫でも認められるし、≪証拠省略≫によれば、書面による忠告までなされているのである。そして、その後更に甲第四号証の一により解除通知されたのに対して、被告は甲第七号証のように、許可外の建築なしと強弁しているのであるから、当事者の主観的心情を具体的に問題とする限り、両者の間に信頼関係はもはや存在していないというべきであろう。

(八)  ただ、ここで問われている信頼関係の破壊とは、もっと客観的抽象的な基準なのである。それは決して、当事者を平均的一般人に化してしまうとの謂ではない。被告本人の供述で認められるように、原告と被告とは、義理の兄妹関係にある。本件賃貸借は元来原告の弟への援助の一環だったようである。そういう親族関係や従来の経緯の特殊性は存したまま、むしろあるべき親族関係とか世間普通に期待せられる反応とかいう形で客観化抽象化し、そういう当事者間で信頼関係が破壊せられるか否かを考えるべきであろう。当裁判所は、検証の結果に鑑み、この程度の規模の違法増改築によっては、右にいう信頼関係は破壊せられない、と考えるものである。

(九)  ただ、前記のように、違法建築である以上、被告は原告に償金を支払うべきであるが、反面、原告としては、せいぜい償金を請求しうるに止まり、被告に債務不履行ありとして契約解除することはできない、ということになる。

三  そこで、予備的請求なしにも、右償金額を定めて一部請求認容の判決をすることが考えられないではないが、和解勧試の際、原告は償金による解決を拒否する旨の意向を表明したことでもあり、一部認容の判決をすることはしない。よって、全部棄却することとし、訴訟費用も敗訴者の負担として、主文のとおり判決する次第である。

(裁判官 倉田卓次)

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